そばこもぐもぐ。

雑食の雑文です。

なごや万華鏡落語「あさきゆめみし」を観ました(2018年版を観ました)

どうしてここにいるんだ。

それは推しがなごや万華鏡落語に出演しているからだよ。ということでこんばんは。今日も今日とて、推しのパフォーマンスが限界突破してて頭がパニック状態です。冒頭の見出しは2018年版『あさきゆめみし』の最初の台詞。今日は(といっても昨日だけど)、観てきたばかりのなごや万華鏡落語の感想を残しておきたいと思って眠気とカスレベルの記憶力と戦いながら書きたいと思います。

いろんな見方があると思いますが、『表現したものは受け手が受け取った瞬間、解釈は受け手の手に渡る(ニュアンス)』という東京ポッド許可局のポリシーに則って好き勝手に書きます。なぜって、超絶面白かったから。来年もぜひやって欲しいから。今年はDVD化もされないとのこと、なおのこと、何を感じたのか、拙い文章力と思考力だったとしても、残しておきたいと思います。

きっと捉え方もたくさんあると思うから、「いやお前全然見る目ねぇなこうでしょ」みたいなことも含めて感想聞きたくなりますよね。結構ダラダラ書いてるけど自信ないとこもいっぱいありますしw

 

moatjiang88.hatenablog.com

ちなみに2017年版の感想はこちら。

 

あさきゆめみし、完結編。

って、脚本を書かれている鹿目さんが仰ってました。三部作の主な登場人物の構成はこちら。

 

2016年 … 兄弟(勇翔さん、頼我くん)

2017年 … 親子(勇翔さん、平松さん、せつらくん)

2018年 … 幼馴染(せつらくん、米谷くん)

 

2016年版を観ていないので3部作の共通点ではないかもしれないのですが、おそらく、あさきゆめみしの歌の世界観と、各年のモチーフにしている落語が出てくるのは共通なのかな…。あさきゆめみしの歌の世界観は、『生と死の境界線』『喪失を経ての生への執着』みたいな感じなのかなぁと思ってるんですけど、今年もそこら辺の描写に心臓掴まれて感情グワングワンに揺さぶられて帰ってきました…。

 

せつらくん、米谷くんの掛け合いの凄まじさよ。

まずはここ触れないとと思ってるんですけど、2人の息の合い方が本当に素晴らしかったの…。せつらくんは2017年版も見てるので演技できるの知ってたけど、米谷くんの長い芝居を見るのは初めてで、どどどどんな演技するんだろうって正直結構緊張していたりした訳なんですけども。最初の

「どうしてここにいるんだ」から2人同時に言う「死んでる。」

までのくだりで私の心配なんて杞憂なんだと確信しました。この掛け合いの後、幼馴染ってわかるんですけど、凄まじい幼馴染感!(語彙力がどっかいった)BMKでの切磋琢磨がこんな形で昇華されて表現されるなんて…!と勝手に妄想して感動しましたよね…。

っていうかね、この舞台に出てくる2人以外のBMKメンバーの演技も本当に最高なんですよ。基本二人芝居だから、出演時間は少ないし台詞もほとんどないんだけど、メンバーが出てくる瞬間のせつらくん、米谷くんでは担えない部分を120%で補う感が凄くて、せつらくんが夜の部の後に「BMKのメンバーに支えられた」って言ってたのは本当にそうなんだろうなぁと思ったんですよね。いや、二人芝居だから担えない部分があるのは当然なんだと思うんですけど、それを4人がちゃんと補える力があるっていうのが凄いな…って。それぞれのメンバーがそれぞれのメンバーの持ってるものを理解して、表現する。でもって普段活動を共にしてない鹿目さんの采配の凄さよね…プロって凄い…。

 

見事に死にきったのに、死んだという自覚がなかったのはなぜか。

もうここからは気になった部分の自分の解釈と感想だけ書きます。記録にも記憶にも残しておきたい部分、書いておくから忘れないでくれ未来の自分…!なるだけちゃんと書いとけ今の自分…!

 

この話には「自覚する」「自覚しない(できない)」という描写が何度も出てきます。せつらくん演じる与太郎は、今、自分が立っている場所がどこなのか、自覚できていません。反対に、米谷くん演じる権助は「自覚している」。何かを。その差がこの物語のポイントでもあり、その差が埋まれば埋まる程、悲しい事実も浮かび上がってくることになります…。

与太郎は、権助を自分から誘った遊びにより亡くしてしまったという後悔から、自ら川に飛び込むという行動をするんですが、行動をした後、なぜそれをしたのか、そしてそれによって自分がどうして三途の川にいたのか、自覚がなくなっちゃうんですね。五感がないことが、彼の物理的な存在の薄さを表しているのかなと思うと、舞台装置少なくてもそれを表現できる手段にも見えて、これ思いついた鹿目さん凄いなぁと思ったり(そりゃそうか)。

 

この世(現世)ではあんなに後悔した与太郎が、なぜあの世では何も覚えてないのか。私は結構ここにモヤモヤしてたんですけど、ラスト、権助が言う「お前は『俺は俺の後悔と共に沈みたい』と思った」という所でしっくりきました。与太郎は沈んで、おそらく権助と同じように苦しんで死にきった時に「後悔と共に死んだ」のだ、と。だから一度、与太郎的には全てをリセットしたんじゃないかと思いました。でも、権助はそれを望んでなかった。だって、そうしたら「与太郎と生きてきた俺も死んで(消えて)しまうから」。権助は終始、与太郎の願いを叶える為に行動しますが、ここでようやく自分の想いが爆発します。「なくさないでくれ。思い出も俺もなかったことにしないでくれ。」と。

ずーーーーっと無邪気に見守ってきた権助の悲痛な程のつぶやき。いつも与太郎の目を見て話す権助が命の火を見ながらあのつぶやきに涙した方も多かったのではないでしょうか…(とかいいながら今自分が涙目になってるw)

与太郎が生きるということは、権助の思い出までは消えない(死なない)ということに繋がるということで、権助は自分の為に死のうとした与太郎に、自分の為に生きてくれ、と伝えます。そして、もう一度起きる別れ。

…もうさーーー!!!!!モチーフになってる(はずの)落語の死神は背中押すって描写あったっけな?とか思ってたらさーー!!!そうか、ここでそれが活きてくんのかーーー!!!!と思ったら余計泣けたよねーーー!!!!!生きるもの(与太郎)が、死ぬもの(権助)の背中を押す、でも実際に背中を押されているのは生きるものっていう…!!!で、この後の二人のやり取りですよ。

 

「後悔を捨てて、航海に出るんだ」

「なんだよそのダジャレ」

「忘れたのか!いつも二人でダジャレ言ってただろう!」

「そうだった!権助!」

 

これ、思い出したっていうよりも、権助与太郎に対してのコミュニケーションのリミッターを外した瞬間でもあったように感じて、それにすごい泣けました…。そう考えると、ラスト直前まで権助って基本与太郎の話したことを言葉のまま受け取ることしかしてないんですよね…。だから最初のどうしてここにいるんだはすれ違うし、それが権助与太郎の「後悔を消したい」という願望に理解を示しつつ、それでも諦められないから側にいてコミュニケーション取り続けるっていうことにも思えて…えっなんて健気なの権助…!そしてそれが最後の別れでリミッターが権助の言葉によって外されるっていう…!ひぃぃぃぃぃぃ(混乱)。

 

ちなみに、夜の部では、その選択を「よかったんだろうか」と悩む与太郎に対して、権助が言う台詞。

「よかったんだよ。死んだのは俺だけど、お前も死んだんだ。で、記憶の水の中でふたりとも生き続ける。聞こえないだろうけど、そう言っとくよ。」

お前も死んだんだ、ってちょっとどういう意味なんだろうって思ってたんですけど、10歳のあの時、と入れると自分的にはちょっと整理できました。

10歳のあの時、死んだのは俺だけど、お前も死んだんだ。でも、お前が生きてくれることで、これまでの人生も、これからの人生も、記憶の水の中でふたりとも生き続ける。

こんな感じかなぁと。だから俺は(権助は)お前が(与太郎が)生きてくれることで、死んでるけど、生きていけるんだ、と。権助、全然考えてないフリして、与太郎がちゃんと生きる意味を与えてるじゃん…。難しく考えちゃう与太郎用に、ちゃんと生きる意味を言葉でも理解できるように…。だから聞こえなくてもよかったんだね…10歳の時と違って、ちゃんと別れと生きていく意味を与太郎がロジック組み立てられるように道筋立ってるもんね…。うぅぅぅ。権助…。めっちゃいいやつじゃん…(嗚咽)

 

とにかく、推しが凄まじかった…

せつらくんの演技の巧さは2017年版を見て知ってたんですが、米谷くんの演技の巧さに慄きました…!ホワタイは見てたけど、そんなに多くの時間ではなかったし、私が観に行った回はたまたまゴリゴリアドリブの回だったので…w

まず、声が通る。

前半の、近くにいるのにまだ心の距離が遠いタイミングも、心の距離は近くなったけど、物理的に遠くなるタイミングも、米谷くんの声の美しさと通りっぷりがまーーーー映える映える。

あと、本物の権助は10歳で成長が止まっているので、いつもの米谷くんの声よりも終始若くて無邪気な感じ。

伏線が回収された時にだからかーーー!!!!ってわかるっていう。もちろんこれは普段の米谷くんの声を知ってるからっていうのもあるかもしれないんですけども…。でもあの声の表情は素晴らしかったと思うんですよね…。歌上手いってこういう所にも活きてくるんか…と推しの可能性に末恐ろしささえ感じた一日でした…。

 

インプットの嵐でマジで疲れた…

このエントリではあさきゆめみしの感想しか書けてないんですけど、BMKのそーたくんが一人で演じながら落語をする演落語、三味線演奏、寄席、談義(おもてなし武将隊の歴史講座)と、濃密過ぎるインプットの嵐でした…。でもこの超絶脳みそが疲れる感じ、凄く心地よい疲れでもあります。一年に一度、こんなに日本の伝統文化に触れる日があってもいいと思うし、なにより名古屋能楽堂という素晴らしい舞台に一日いられる幸せったらないですよね…。来年もぜひやって欲しいなー。そしてあわよくば来年も推しの活躍が見れたらいうことない。

こんな素敵な舞台につれてきてくれて、推しグループ及び推しには感謝しかないです。本当に幸せな一日でした。あざしたーーー!!!!!

 

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