そばこもぐもぐ。

雑食の雑文です。

なごや万華鏡落語「あさきゆめみし」の予習しました(2017年版を観ました)

これはすごいもんをみた。

それでもうこのエントリ終わりにしていいんじゃないかっていうくらい、もうこれが言いたいだけなんですけども、観ました。なごや万華鏡落語の2017年版。2017年版といっているのは、今年もなごや万華鏡落語が開催されるので、今回私がエントリで書くのは2017年版であることを最初に書いておきますね、きっと2018年版のことも書くんだろうし。

ちなみに2018年版のなごや万華鏡落語は9月29日(土)に開催されます。まだチケットありますので興味ある方はお早めにどうぞ!

なごや万華鏡落語 | 東海テレビ

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このキービジュアルやばくないですか…この美しい一枚が世界に存在してるだけで幸せなのに、この2人の舞台が見れるとか…私徳積んだな…(積んでない)

まず舞台となる名古屋能楽堂が素晴らしい。

能楽堂っていうくらいなんで、能や狂言などが開催される舞台で上演されるんですけどね。この舞台がまーーーー素晴らしい。

www.castle.co.jp

周辺ホテルのサイトなんですけど、開くと超キレイな名古屋能楽堂が見れます。ここでやるんですよー。凄いーー。

しかも、演劇、演落語、談義(って公式サイトに書いてあるんだけどトークショーってことでいいの…?)が観れるんですねー。凄い。…え?凄い。(※演劇と演落語はチケット別です)

 

2017年「あさきゆめみし」を観た。

いつもながら前置き長くて申し訳ないんですけども、ようやっと本題に入ります。ここからガンガンネタバレするんで、2017年版のDVDネタバレなしで観たい方はここで回れ右してください。

……

………

大丈夫ですか、回れ右しましたね?じゃあ好き勝手書きまーす。

 

勇翔さん、平松さん、せつらくんの3人の会話劇。

なごや万華鏡落語「あさきゆめみし」は、上記に書いた素晴らしい舞台の上で3人が上下黒の和装っぽい衣装をまとって繰り広げる会話劇です。

 舞台転換ほぼなし、小道具も最小限。とりあえずラーメンズ好きな人は絶対好きだと思う。勇翔さん以外の2人は演技を観るのも初めてだったんですけど、3人とも演技上手。せつらくんは先輩の胸借りて全力で向かっていく感じ(これがまたこの物語の重要なパートも握っているのでそれも相まって素晴らしい)、一期生2人の優しく見守りながら、他の役を演じる瞬間の切り替えが素晴らしくて、ものすごい化学反応してるのが嬉しい。

 

俺は誰だ、僕は誰だ。

「お前を手に入れたい、そうすれば俺は俺になれる」(セリフはニュアンス)。

目隠しをした一人の男性(かぐやという名前であることが途中でわかる。演じているのはせつらくん)が捕まえようとしている「この世のものではない誰か」。視力を失うことで感じられる「この世のものではない誰か」。それは誰なのか。

感性を失う、感性を手に入れる、ということ、そして男性は誰なのか、その男性を取り巻く2人(うつろとなでしこという名前だったと思う)は誰なのかということが物語の軸になって進んでいくのですが、この元々あった感性を失い、もう一度手に入れる、というプロセスが人の成長と、死を感じる、受け入れる、そして生きるというテーマに繋がって、その過程が素晴らしかったです。

まさに「あさきゆめみし」のいろは歌とリンクしているんだなーと。そんなに詳しくないんですけど、最後にかぐやがまさに「あさきゆめみし」の歌のように生きることを選ぶんですよね(結末が昼と夜で変わるのでDVDで観た限りなんですけど)。

あさきゆめみし ゑひもせす」は、まぁいろいろな訳説はあるとして、儚い夢を見ず酒に酔うこともなく生きていく、という感じ(まぁこの前にある「花はいつか散るけれど」の辺りとかもかかってくる気がするけど割愛)、「死のうとしたけど、2人との出会い(感性を取り戻していく過程)で再び現世で生きることを選ぶ」というかぐやのイメージにピッタリで。この舞台には特に事前情報としてあらすじなどを知ることができないだけに、終わった後に「あさきゆめみし」の意味が更に深く入ってくる感じがしました。

 

視野を失い、視野を取り戻すという意味。

かぐやが最初に視野を自ら塞いでいる所から始まる舞台の終わり、最後にかぐやの周りにいる2人が言うセリフが本当に凄いんですよ。

「見ていることだけは出来る…もう少しだけ見ていよう」(セリフはニュアンス)。

かぐやのことをなぜうつろとなでしこの2人が見ているのか、なぜ「見ていることだけ許されるのか」。このシーンが「死を理解すること、生きるを選択すること」の総まとめになっていて、うつろとなでしこの優しい眼差しで号泣ですね。勇翔さんと平松さん、凄い。そしてこのシーンに行き着くまでの過程を遡ると、冒頭のうつろとなでしこの狂気も含んだ演技も理解できます。狂気じみてしまう程、必死なんですよね。かぐやに生きることを伝える為に。かぐやが死にたくないと感じて、感性を取り戻して、自分が選択しようとした行動を見つめて、生きることを選ぶ。この過程にはうつろとなでしこの説得が入ってはいけなかったんだと思います。あくまでも自分の言葉で、自分の行動で、それを選ぶ必要があった。なぜなら「彼は一人になってしまうから」。一人になることを受け入れて、それでも生きることを選んで欲しい。そのうつろとなでしこの想いが最後の最後に全部線になる。全ての感性を失ったかぐやが微かに持っている情報が全て自分を愛してくれていた証拠で、その証拠を確かめながら生きることを選ぶかぐや…ヤバい書きながら泣きそう…。

 

一日二回公演はなごや万華鏡落語の見方として最高だと思う。

前の段落で説明したように、最後の最後で意味がわかって「もう一回観たい…!」って思ったら夜公演もある!!っていう奇跡。信じられます?なにその奇跡。観るしかないじゃん。

でも冗談抜きで、一回目のラストのラストで全部繋がった状態で、もう一回最初から観れるっていうのは本当に有意義だと思いました。私は推しが出るんで何も考えずに昼夜公演抑えましたけど、おそらく推しが出てなかったとしても、舞台の完成度を実感するという意味で、昼夜観るっていうのがいいんだろうなぁと。

しかも、ただ時間が空くんじゃなくて、落語と演落語という文化のサンドイッチですよ。絶対に面白いけど頭パンクしそうでしゃーない。でもそんな文化にまみれる一日があったっていいじゃないっていうか幸せじゃない。

 

え、これに推しが出るの…?

2017年版は、演劇に勇翔さん、平松さん、せつらくん、演落語にそーたくんが出演しておりまして。2018年版はこの演劇に推しの米谷くんが出演するんですよ!!!!!!!ひゃーーーー!!!!!せつらくんとの二人舞台ってすごいよね…(たくみんも特別出演ってことだけどどこに出るのかなー)。あの舞台で、2人の演劇を一日二回も観れるってどんだけ幸せなことだろうか…。最初、2017年版のDVD買ったのはいいものの、当日まで見ようか見ないで行くか超悩んでたんですけど、結論見てよかった。こんな素敵な舞台に立つ米谷くんを、こんな素晴らしい演劇に(物語自体は新作なので違うものだとしても)出演する米谷くんを想像するだけでワクワクします。幸せだなぁ…2018年。

 

という訳で、2017年版で2018年版の予習をしたよ!というエントリでした。すいません感想は一個人の思考ダダ漏れ文章力ゼロのものでしかないので、気になった方はDVD観てください。そーたくんの演落語もそーたくんの魅力全開です。あれはそーたくんにしかできない寿限無だわ…今年も楽しみ…!

ちょっとでも興味持った方はぜひに。DVD発売の予定もないらしいので、生で観て感想戦しましょう。

なごや万華鏡落語 | 東海テレビ

 

(2018/09/04 21:43追記)かぐやって名前、かぐや姫のかぐやから来てるんでは…?!とお風呂に入りながら思いました。かぐや姫って「喪失と死」の象徴って説があって、あさきゆめみしのかぐやもそれをなぞってるのでは…?と。罪を犯して地球に(下界に)降ろされるかぐや姫、そして地球に失望して月に還る(これを死と見る考察があったはず)、それが「あさきゆめみし」のかぐやが罪を犯して(死を選ぼうとして)、あの世にいって再度地球に還っていく…でもかぐや姫との違いは、「喪失」じゃなくて「希望」だったってことですよね。ということはうつろとなでしこにも意味があるのでは…?!と思ったんですが思いつきません。どなたか気づいた方いらっしゃったら教えてくださいー。